ぴかぴかの一年生。
2006-10-25 Wed 00:11
広告批評

佐藤可士和さんの明治学院大学ブランディングプロジェクトを特集している今月号の「広告批評」。
さらに加速化していく少子化の中で、勝ち残る大学とはどんな大学なのか。

エッセイスト天野祐吉さんの文で、気になる言葉を見つけました。

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 スクールの語源はスコーレである。
 よく知られているように、「スコーレ」というギリシア語のなかには、「学ぶ」という意味と「遊ぶ」という意味が、表裏一体のものとして仲良く同居している。もともと「学び」はサイコーの「遊び」だったし、だからこそ古代ギリシアのスコーレには、遊ぶ余裕のある貴族の子弟しか行けなかった。
(中略)
 いまのスクールは、ほとんどスコーレとは縁のないものになってしまった。遊び場どころではない、知識の詰め込み工場になってしまった。
(中略)
 経済優先・効率第一主義の社会では、へたに自分で考えようとする人間よりも、そういう教育を受けた人間のほうが、無縁で、無難であることで役に立つからだ。
 大学も同じである。というより、いまやほとんどの大学は、就職予備校になり、自分で考えたりしない人間を、ベルトコンベアでせっせと産業界や官界に送り出す装置になっている。近頃の大学生は遊んでばかりいるという声をよく聞くけれど、問題なのは、その「遊び」が「学び」とは切れた、つまり何も考えないですむような、考えることを放棄したような遊びになっているところだろう。
 スコーレを失ったスクールに、どうスコーレを取り戻すか。大学の差異化戦略はいろいろあっていいけれど、ぼくはスコーレの復権を、面白く、鮮明に打ち出すことが、最上の差異化戦略になるのではないか、と考えている。

「大学の生き残り作戦」天野祐吉より

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なんで大学に進学にしたのかは正直わからない。

進学校に通っていた私は、
気が着いたら大学進学を目指していた。
それ以外の選択肢を周りから教えられなかった。


文学部教育学科。

教育学科に進んだのは、
なんとなく。
社会学科に落ちたから。
結構、偏差値が高い教育学科に受かったとき感じたちょっとした優越感がそのまま進学の理由になった。


大学に入った頃はそれなりに、
学ぶことにも遊ぶことにも張り切っていた。

授業も楽な授業を選ぶわけではなく、
自分の好きな授業を選んでいた。

でも教育には、そこまで関心がなかった。
だから、次第にやりたい勉強ができないジレンマに陥り、
転部や中退をする勇気もなく、
スコーレとスクールは、少しずつ離れていった。


社会に出て、
漸くやりたいこと見つけられた。
やりたいことを見つけたら、学生が羨ましくなった。
私はいま、学校に通っている。
仕事のない、土曜日に通う学校。
土曜に学校に行くなんて、偉いね、
なんて褒められるけど、
別に偉いとは思ってない。

だって、楽しいから。

わたしは、いまスコーレの一年生だ。
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